2026年10月
この日は、本当ならやらなければならないことがあった。
仕事もある。勉強もある。読みかけの本もある。考えなければならないことも山ほどある。
けれど、どうにもやる気が起きなかった。
机に向かえば何かできたのかもしれない。しかし、気持ちがまったくついてこない。
こういう日は、無理に自分を動かそうとするほど、かえって疲れてしまうことがある。
そこで、思い切って休むことにした。

とはいえ、自分の場合、休むといっても家でじっとしているわけではない。
寺へ行く。
街を歩く。
本屋へ行く。
気になる本を買う。
そして、ひたすら読む。
結局、いつもとあまり変わらないような気もする。
それでも、この日は仕事や勉強のためではなく、ただ自分の好きなことをする日にした。
護国寺で、夏目漱石の墓を訪ねる
最初に向かったのは、文京区の護国寺だった。

護国寺は、江戸時代の1681年、五代将軍徳川綱吉が母・桂昌院の願いによって建立した真言宗豊山派の寺院である。

境内には歴史的な建造物が残り、多くの著名人の墓所があることでも知られている。

この日はちょうど昼の休憩時間に当たり、拝観したかった場所には入れなかった。
少し残念だったが、こういうこともある。

せっかくなので墓地へ向かい、夏目漱石の墓を訪ねた。

漱石といえば、『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』など、今なお読み継がれる作品を残した作家である。
亡くなったのは1916年。
もう百年以上も前の人だ。
けれど、その作品は今も本屋に並んでいる。
自分も漱石の文章を読むことができる。
本人はとうに亡くなっているのに、言葉は残っている。
墓の前に立つと、そんな当たり前のことを改めて考える。
人間の身体には寿命がある。

けれど、人間が生み出したものには、本人より長く生き続けるものがある。

本というものは、つくづく不思議な存在である。

池袋まで歩く
護国寺を出て、池袋へ向かった。
電車に乗ってもよかったのだが、歩くことにした。
特別な目的がなく街を歩くのは、案外気持ちがよい。
普段なら移動時間を短くしたいと思う。
早く着きたい。
次の予定がある。
時間を無駄にしたくない。
でも、この日は急ぐ必要がなかった。
歩きながら街を見る。
知らない店を見つける。
気になったものがあれば立ち止まる。
仕事のことを考えてもいいし、考えなくてもいい。
こういう時間は、何かを達成するための時間ではない。
ただ歩くための時間である。
池袋に着いてからは、池袋大仏へお参りした。

池袋大仏は、南池袋の仙行寺に安置されている大仏である。
繁華街の近くにありながら、そこには仏像に向き合う空間がある。
東京という街は面白い。
少し歩くだけで、商業施設があり、寺があり、歴史があり、現代の暮らしがある。
そういうものが、何の不思議もなく隣り合っている。
ジュンク堂は、九階から降りていく
さて、ここからが自分にとってのお楽しみである。
ジュンク堂書店池袋本店へ向かった。
自分には、ここでの決まった回り方がある。
まず九階へ上がる。
そして、一階ずつ降りていく。
気になるコーナーがあれば立ち止まる。
本棚を眺める。
背表紙を読む。
気になる本があれば手に取る。
目次を開く。
面白そうならカゴに入れる。
また歩く。
そして次の階へ降りる。
これを繰り返す。
実に楽しい。
本屋という場所の良さは、探していなかった本に出会えることだと思う。
インターネットで本を買うときは、たいてい最初から目的がある。
この本が欲しい。
この分野を勉強したい。
この著者の新刊を読みたい。
検索すれば、すぐに見つかる。
それは便利である。
けれど、大きな本屋を歩いていると、まったく違うことが起きる。
自分が知らなかった分野が目に入る。
知らない著者を見つける。
隣に並んでいた本が気になる。
一冊の本から、別の疑問が生まれる。
そして、気づけばカゴの中に本が増えている。
この日も、そうだった。
結局、大量の本を抱えて帰宅することになった。
本を買うことは、未来の自分への投資なのか
本をたくさん買うと、少し不思議な気持ちになる。
当然、買った本を全部すぐに読めるわけではない。
読みたい本は増える一方である。
積んである本もある。
それでも、また買ってしまう。
なぜだろう。
単に知識が欲しいだけではないのかもしれない。
本屋を歩いていると、
「こんな世界もあるのか」
「これも知りたい」
「これを理解できるようになりたい」
と思う。
今の自分には分からないことが、世の中には無数にある。
そして、それを知るための入口が、本棚にずらりと並んでいる。
そう考えると、わくわくする。
もちろん、本を買うことと、知識を身につけることは違う。
買っただけでは賢くならない。
読まなければならない。
考えなければならない。
時には実際に使ってみなければならない。
それでも、本を買うときには、未来の自分への小さな期待がある。
この本を読んだ自分は、今より少し違う世界を見られるかもしれない。
そんな期待である。
午後は紀伊國屋へ
いったん帰宅したあと、午後は新宿の紀伊國屋書店へ向かった。
まだ本屋へ行くのか、と言われそうである。
自分でも少し思う。
けれど、この日はどうしても本を見たかった。
今度は仏教関連の書籍を中心に探した。
経典。
仏教思想。
仏教史。
僧侶の生涯。
古典の解説。
仏教という分野は、学べば学ぶほど、知らないことが増えていく。
一つの言葉を理解しようとすると、別の概念が出てくる。
一人の思想家を調べると、その前後に別の思想家が現れる。
一冊読めば、さらに数冊読みたくなる。
まったく終わりが見えない。
でも、それが面白い。
この日も気になる本を大量に購入した。
そして近くのカフェへ入り、買った本を読み始めた。
気づけば、ひたすら読んでいた。
勉強する気は起きなかったのに、本は読めた
ここで、少しおかしなことに気づいた。
朝は、勉強する気がまったく起きなかった。
やるべきことを考えるだけで気が重かった。
それなのに、午後にはカフェで何時間も本を読んでいる。
しかも、決して軽い本ばかりではない。
仏教思想の本など、むしろ難しいものもある。
これはどういうことなのだろう。
おそらく、自分にとっては、
「やらなければならない勉強」と、
「知りたいから読むこと」は、
同じではないのだと思う。
どちらも頭を使う。
どちらも知識を得る。
けれど、気持ちが違う。
前者には義務がある。
後者には好奇心がある。
やるべきことが嫌いなわけではない。
ただ、その日に限っては、義務を背負う気力が残っていなかったのかもしれない。
一方で、知りたいという気持ちは残っていた。
だから本を読めた。
人間のやる気というものは、単純に「ある」「ない」だけでは説明できないのじゃろう。
休むことまで、生産的にしなくていい
ただ、ここで一つ気をつけたいこともある。
今日の読書を、
「将来役に立つから、これは有意義な休暇だった」
と説明したくなる自分がいる。
経営者としての知識が増えた。
仏教への理解が深まった。
新しいアイデアが得られた。
だから無駄ではなかった。
もちろん、そういう面もある。
けれど、休んだ時間にまで成果を求める必要があるのだろうか。
本を読まずに、ただカフェでぼんやりしていてもよかったはずである。
公園のベンチで寝ていてもよかった。
映画を見てもよかった。
何もしなくてもよかった。
人間は、いつも何かを生み出していなければならないわけではない。
特に自分で会社を経営していると、時間をどうしても損得で考えやすい。
この時間で何ができたか。
何を学んだか。
いくら稼げたか。
将来につながるか。
でも、人生のすべてを投資対効果で測ってしまうのは、少し窮屈である。
休むことは、次に頑張るための手段であってもいい。
けれど、休むこと自体が目的であってもいい。
やる気が出ない自分を、責めすぎない
もちろん、仕事を放り出してばかりでは困る。
責任もある。
期限もある。
約束もある。
やる気が出ないからといって、何でも後回しにしてよいわけではない。
けれど、どうしても気持ちが動かない日がある。
そんな日に無理やり机へ向かい、
何も進まないまま時間だけが過ぎ、
最後には「今日も何もできなかった」と自分を責める。
それなら、最初から休むと決めてしまう方がよい日もあるのではないか。
大切なのは、休むことと、責任を放棄することを区別することだと思う。
必要な連絡や約束は守る。
急ぎの仕事があれば対応する。
そのうえで、休める時間は休む。
そして、休むと決めたなら、必要以上に罪悪感を持たない。
これも案外、難しい。
自分の好きなものを、ちゃんと知っておく
今回の一日を振り返ってみると、改めて思ったことがある。
自分は、寺と本屋が好きなのだ。
寺へ行く。
歴史上の人物の墓を訪ねる。
街を歩く。
大きな書店を上から下まで巡る。
気になる本を買う。
カフェで読む。
それだけで、ずいぶん満たされる。
高級な旅行でなくてもいい。
特別なイベントがなくてもいい。
自分の好きな場所をいくつか知っていれば、それだけで休日は豊かになる。
考えてみれば、これはありがたいことだ。
疲れたとき、どこへ行けばよいか分かっている。
何をすれば少し元気になるか分かっている。
自分の機嫌を取り戻す方法を知っている。
それは、長く生きていくうえで、案外大切な知恵なのかもしれない。
明日は、また頑張ればいい
この日、本来やろうと思っていた仕事や勉強は、予定どおりには進まなかった。
でも、護国寺へ行った。
夏目漱石の墓を見た。
池袋まで歩いた。
池袋大仏へお参りした。
ジュンク堂を九階から一階まで巡った。
大量の本を買った。
新宿の紀伊國屋へ行った。
そしてカフェでひたすら本を読んだ。
なんだかんだ、ずいぶん充実した一日だった。
それでも、今日を無理に「生産的だった」と評価しなくてもよいと思う。
好きなことをした。
楽しかった。
少し気持ちが軽くなった。
それで十分である。
仕事は明日またやればいい。
勉強も、また始めればいい。
もちろん、毎日そう言っていては困るじゃろう。
けれど、一日くらい、予定を全部脇へ置いて、自分の好奇心に任せて過ごしてもよい。
人生には、前へ進む日もあれば、立ち止まる日もある。
そして、立ち止まったつもりが、思いがけないものに出会う日もある。
この日の自分にとって、それは本屋だった。
ふむ。
やる気が出ない日は、無理にやる気を出そうとしなくてもよいのかもしれんのう。
少し離れて、好きな場所へ行ってみる。
そこで何か面白いものに出会えたなら、それはそれでよい。
何にも出会わなくても、ちゃんと休めたなら、それでよい。
さて。
あなたには、何もやる気が起きない日に、ふらりと出かけたくなる場所があるじゃろうか。





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