2026年2月11日。
鎌倉へ出かけた。
円覚寺を訪ね、その後、杉本寺へ。
この日から、坂東三十三観音の巡礼を始めることにした。
杉本寺、安養院、長谷寺。
さらに鎌倉を離れ、岩殿観音、弘明寺へ。
一日でいくつもの寺を巡った。
じゃが、この日の一番大きな出来事は、
たくさんの寺を訪ねたことではない。
「巡礼を始めたこと」
だったのかもしれん。
三十三という数字を見ると、少し遠く感じる
坂東三十三観音。
その名の通り、三十三の札所を巡る。
鎌倉だけでは終わらない。
神奈川、埼玉、東京、群馬、栃木、茨城、千葉へと札所は広がっている。
始める前から全部の道程を考えると、
「ずいぶん大変そうじゃのう」
と思ってしまう。
いつ行くのか。
どうやって回るのか。
最後まで続けられるのか。
考え始めれば、いくらでも心配事は出てくる。
けれど杉本寺に着いてしまえば、そんなことはあまり関係ない。
目の前にあるのは、
三十三か所ではなく、
一番札所の一寺だけなのじゃ。
大きなことは、小さく始まる
ふむふむ。
これは巡礼だけの話ではないのかもしれん。
資格を取りたい。
本を一冊読みたい。
運動を始めたい。
新しい仕事を始めたい。
外国語を覚えたい。
何かを始めるとき、人はつい完成した姿を想像する。
すると、その距離に圧倒される。
三十三寺を全部回らなければ。
本を最後まで読まなければ。
試験に合格しなければ。
毎日運動しなければ。
そう考えると、最初の一歩が妙に重くなる。
じゃが、本当はまだそんなことを考えなくてもよい。
今日、一寺だけ行く。
今日、一ページだけ読む。
今日、十分だけ歩く。
始まりとは、そのくらい小さなものでよいのじゃ。
道は、歩いてから見えてくる
杉本寺を出れば、次の寺へ向かう。
そしてまた次へ。
一日が終われば、まだまだ札所は残っている。
それでよい。
巡礼の面白いところは、
最初から道のすべてを知る必要がないところにもあるのかもしれん。
次はどこへ行こうか。
どの季節に訪ねようか。
どうやって移動しようか。
それは、そのとき考えればよい。
人生にも似たところがある。
先のことを考えるのは大切じゃ。
じゃが、十年先まで完全に見えてから歩き始めようとすれば、
いつまでたっても出発できん。
歩き始めたからこそ、
次の道が見えてくることもある。
始めた日は、一度しかない
この先、三十三の札所を巡れば、
いろいろな寺を見ることになるじゃろう。
山の中の寺もある。
長い道を歩く日もある。
雨の日もあるかもしれん。
そしていつか最後の札所へたどり着けば、
「終わった」
と思う日が来る。
けれど、
「始めた日」
は一度しかない。
まだ何も成し遂げていない日。
先のこともよく分からない日。
それでも、とりあえず一歩を踏み出した日。
何かを成し遂げた日だけが、特別なのではないのじゃ。
始めた日もまた、
あとから振り返れば大切な一日になる。
まず、一寺目へ
何か始めたいことがあるのなら、
全部できるかどうかを、今決めなくてもよい。
途中で予定が変わるかもしれない。
休むこともある。
やめることだってあるかもしれん。
それでも、
興味があるのなら一歩だけ進んでみる。
三十三寺の巡礼なら、
まず一寺目へ行けばよい。
人生の新しいことも、
案外それくらいでよいのじゃ。
さて。
あなたがずっと「いつか始めよう」と思っていること。
その一寺目にあたるものは、
何じゃろうのう。













-485x273.jpg)


コメントを残す