孔子と平将門に叱られた日――宅建試験に惨敗して考えた、学ぶということ

湯島聖堂
湯島聖堂

2026年10月18日、日曜日。

今日は、宅地建物取引士資格試験、いわゆる宅建試験を受けてきた。

結果から言えば、惨敗だった。

それなりに時間をかけて勉強してきたつもりだった。

テキストを読み、講義を視聴し、過去問を解き、試験直前まで知識を詰め込んだ。

それでも、本番では思うように得点できなかった。

特に宅建業法は、比較的得意だと思っていた分野だっただけに、悔しさが残る。

試験前には、湯島聖堂と神田明神にもお参りした。

学問の道を歩んだ孔子と、神田明神に祀られる平将門公。

二人にお願いしたにもかかわらず、この結果である。

後から考えて、少し笑ってしまった。

もしかすると、孔子と平将門から、こんなお叱りを受けたのかもしれない。

「宅建は、不動産の専門家になるための資格であろう。もっと詳しく勉強せよ」

なるほど。

たしかに、そのとおりかもしれない。(笑)

湯島聖堂
湯島聖堂

試験前に、湯島聖堂へ

試験前、まず湯島聖堂へ向かった。

湯島聖堂は、江戸時代の儒学と深い関係を持つ場所である。

もともと徳川綱吉の時代に孔子廟が設けられ、後には幕府の学問所である昌平坂学問所が置かれた。

江戸幕府における儒学教育の中心地の一つだったのである。

自分は最近、『論語』や『孟子』、そして『春秋左氏伝』など、中国古典を読むことが増えている。

湯島聖堂
湯島聖堂

そのため、湯島聖堂は単なる試験前の参拝先ではない。

孔子の思想や、学問そのものについて考えさせられる場所でもある。

孔子は、学ぶことを非常に重視した人物である。

『論語』の冒頭には、よく知られた言葉がある。

「子曰、學而時習之、不亦説乎。」

『論語』学而篇第一・第一章。

学んだことを折に触れて復習し、身につけていくことは、喜ばしいことではないか。

大まかには、そのような意味である。

試験前の自分は、当然ながら合格したかった。

けれど、孔子の教えに照らして考えるなら、学問の目的は試験に合格することだけではないはずだ。

知識を身につけ、それを実際に使えるようになること。

そして、自分自身を成長させること。

試験の結果を知った今、この言葉が少し違って聞こえてくる。

神田明神にもお願いする

湯島聖堂の近くには、神田明神がある。

神田明神
神田明神

こちらにもお参りした。

神田明神には、大己貴命、少彦名命、そして平将門命が祀られている。

平将門は、平安時代に関東で勢力を築き、朝廷に対して反乱を起こした人物として知られている。

歴史上の将門については、反逆者としての評価がある一方、関東の人々にとっては地域に根ざした存在として信仰されてきた側面もある。

自分は、こうした歴史上の人物が、時代によって異なる評価を受けながら、現在まで信仰の対象となっていることに興味がある。

さて、そんな平将門公にも、試験の成功をお願いした。

しかし、結果は惨敗。

もちろん、神仏が試験の採点を左右していると本気で考えているわけではない。

ただ、こういうときは少し冗談でも言いたくなる。

孔子からは「学びが浅い」と叱られ、将門公からは「準備が足りぬ」と一喝された。

そんなふうに考えると、失敗した一日も、少し面白く感じられる。

もっとも、実際に答案を書いたのは自分である。

結果の責任も、自分にある。

勉強したつもりと、理解していることは違う

今回の試験で痛感したのは、勉強したつもりになっていた部分があったということだ。

テキストを読む。

講義を見る。

過去問を解く。

これらは、資格試験の勉強として基本的な方法である。

自分も、その方法で準備を進めてきた。

しかし、本番では、見慣れない問い方や細かな知識を問う問題に苦戦した。

過去問で正解できることと、制度を正確に理解していることは、必ずしも同じではない。

過去問を繰り返していると、問題文を見ただけで正解の選択肢を思い出せるようになることがある。

それ自体は、試験対策として意味がある。

けれど、選択肢の一部が変わったり、別の角度から問われたりすると、途端に分からなくなる。

今回の自分には、そうした弱さがあったのだと思う。

単に正解を覚えるのではなく、なぜその答えになるのかを理解する。

条文の趣旨を知る。

制度が作られた理由を考える。

例外が設けられている意味を理解する。

そうした勉強が、もっと必要だったのかもしれない。

得意だと思っていた宅建業法が、惨敗だった

特に悔しかったのは、宅建業法である。

宅建試験の中でも、宅建業法は重要な得点源とされる分野だ。

自分も重点的に勉強してきた。

それなりに理解しているつもりだった。

ところが、実際には思うように得点できなかった。

これは、かなり反省すべき点である。

宅建業法は、不動産取引に関わる消費者を保護し、宅地建物取引業の適正な運営を確保するための法律である。

免許制度。

重要事項説明。

契約書面。

報酬規制。

広告規制。

手付金等の保全措置。

こうした制度には、それぞれ理由がある。

単に数字や要件を暗記するだけではなく、どのような取引上の危険を防ぐために設けられているのかを理解すれば、知識のつながりが見えてくるはずだ。

たとえば、手付金等の保全措置について考える。

なぜ、買主から受け取った金銭を保全する必要があるのか。

なぜ、未完成物件と完成物件で規制が異なるのか。

どのような場合に保全措置が必要になるのか。

こうした問いを、条文の仕組みから理解していきたい。

来年は、宅建業法をもっと詳しく学ぼうと思う。

テキストと過去問だけでは、足りないのか

今回の試験では、従来のテキストや過去問の知識だけでは対応しにくいと感じる問題があった。

宅建試験が年々難しくなっているようにも感じる。

ただし、試験全体の難易度が毎年一貫して上昇しているかどうかは、実際の出題内容や合格基準点、受験者の得点状況などを見て判断する必要がある。

少なくとも、自分にとって今回の試験は難しかった。

そして、現在の勉強方法には改善の余地があると分かった。

来年は、より網羅的なテキストを使おうと思う。

必要に応じて法令の条文にも当たり、制度を体系的に理解する。

過去問についても、正解したかどうかだけで終わらせない。

すべての選択肢について、どこが正しく、どこが誤っているのかを説明できるようにする。

さらに、初めて見る問題にも対応できるよう、知識を応用する練習を増やしたい。

試験のためだけの暗記から、一歩進んだ勉強へ。

今回の失敗を、学び方を見直す機会にしたい。

賃貸不動産経営管理士も勉強してみたい

来年の宅建試験に向けて、もう一つ考えていることがある。

賃貸不動産経営管理士の勉強も並行して進めることだ。

賃貸不動産経営管理士は、賃貸住宅の管理に関する専門知識を扱う国家資格である。

宅建士とは対象とする業務が異なるが、民法や賃貸借契約、不動産に関する法制度など、関連する知識もある。

実際に書店でテキストを見たところ、今回の宅建試験で出題された内容と関係する事項も載っていた。

これは面白いと思った。

宅建試験だけを勉強していると、どうしても試験範囲を中心に知識を整理してしまう。

しかし、賃貸管理の側面から不動産を学ぶことで、宅建の知識を別の角度から理解できるかもしれない。

もちろん、二つの資格を並行して勉強すれば、単純に効率が二倍になるわけではない。

それぞれ固有の試験範囲があるため、学習時間の配分には注意が必要だ。

それでも、せっかく不動産について学ぶのであれば、より広い知識を身につけたい。

資格を一つ取ることだけを目的にするのではなく、不動産の制度や実務を体系的に理解する。

そんな勉強に切り替えていこうと思う。

そもそも、なぜ宅建を勉強するのか

試験に失敗すると、つい合格点ばかり気になってしまう。

あと何点だったのか。

どの問題を落としたのか。

どの教材を使えばよかったのか。

もちろん、それらを分析することは重要である。

けれど、もう少し根本的な問いもある。

自分は、なぜ宅建を勉強しているのだろう。

資格を取るため。

不動産について知識を身につけるため。

将来の仕事や事業に役立てるため。

理由はいくつもある。

ただ、宅建士は不動産取引に関する専門資格である。

その知識は、人の財産や生活に関わる。

住宅の購入や賃貸借契約は、多くの人にとって大きな決断だ。

そこで専門家が誤った説明をすれば、相手に損害を与えることもある。

そう考えると、合格するために最低限の知識を覚えるだけでは、本来は十分ではないのだろう。

資格試験は、専門家として必要な知識を確認するための一つの関門である。

合格は重要だ。

けれど、合格そのものが学問の終点ではない。

試験に落ちたからこそ、そんなことを考えるようになった。

失敗した日は、焼肉を食べる

試験が終わったあと、牛角へ行った。

牛角
牛角

焼肉の食べ放題である。

結果は惨敗だった。

けれど、今日はそれなりに頑張った。

試験の準備をして、本番を受け、悔しい思いもした。

だったら、せめて美味しいものを食べよう。

そう思った。

焼肉は、実に美味かった。

試験の結果がよければ、祝勝会になっていただろう。

今回は、残念会である。

しかし、食べる肉の美味しさは変わらない。

不合格だったからといって、食事までまずくなる必要はない。

むしろ、こういう日こそ、美味しいものを食べて気持ちを切り替えたい。

もちろん、食べ放題だからといって、身体のことを忘れてよいわけではない。

それでも、試験が終わった一日に、少し楽しみがあってもよいだろう。

失敗した日は、自分を責め続けるよりも、まず一度区切りをつける。

そして、次にどうするかを考える。

そのくらいの余裕は持っていたい。

牛角
牛角

孔子なら、何と言うだろうか

湯島聖堂へお参りしたことを思い出す。

孔子なら、今回の自分に何と言うだろう。

『論語』には、こんな言葉もある。

「子曰、過而不改、是謂過矣。」

『論語』衛霊公篇第十五・第三十章。

過ちを犯して、それを改めないことこそが過ちである。

そういう意味である。

今回の試験結果は、残念だった。

しかし、失敗そのものよりも、その後どうするかが重要なのだと思う。

なぜ失敗したのかを考える。

足りなかった知識を確認する。

勉強方法を改める。

そして、もう一度挑戦する。

もし、何も反省せずに来年も同じ勉強を繰り返したなら、それこそ問題だろう。

そう考えると、孔子に叱られたという冗談も、あながち的外れではない気がする。

来年は、もっと深く学ぶ

今回の宅建試験は、悔しい結果に終わった。

それでも、勉強したことがすべて無駄になったわけではない。

民法について知った。

不動産取引の制度を学んだ。

宅建業法の仕組みを理解するきっかけになった。

そして、自分の知識がどこまで通用するのかを、本番で確かめることができた。

もちろん、合格したかった。

その気持ちは変わらない。

けれど、今回の失敗をきっかけに、より深く勉強できるのであれば、それにも意味がある。

来年は、宅建業法を中心に、もっと体系的に学ぶ。

条文を読む。

制度の趣旨を理解する。

賃貸不動産経営管理士の勉強も取り入れる。

過去問の正解を覚えるだけでなく、初めて見る問題にも対応できる力を身につける。

そして、もう一度試験に挑戦しようと思う。

ふむ。

孔子も平将門公も、試験の答えを教えてはくれなかったようじゃのう。

じゃが、今回の結果から何を学ぶかは、自分で決められる。

失敗したからといって、それまでの努力が消えるわけではない。

大切なのは、失敗を次の学びにつなげることなのじゃろう。

それにしても、試験に落ちた日の焼肉は美味かった。

来年こそは、合格祝いとして食べたいものである。

牛角
牛角

さて。

あなたは、思うような結果が出なかったとき、その失敗をどのように次の一歩へつなげているじゃろうか。

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沙門家鴨(しゃもん-あひる)があがあ寺の管理人
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普段はITとエンターテイメントの会社を営んでいます。

寺社を巡り、山を歩き、本を読み、ときどき旅に出ます。
空海をはじめ、仏教・歴史・文化について学ぶのが好きです。

「限りある人生を、どう生きるか。」
そんなことを、よく考えています。

まだ修行の途中。

旅と読書と日々の暮らしの中で考えたことを、ここに書いています。
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