やりたいことは山ほどあるのに、身体がついてこない――体調を崩して考えた、人生の土台

お気に入りの青磁でお茶を飲みながら休養
お気に入りの青磁でお茶を飲みながら休養

2026年10月。

ここのところ、どうにも体調がよくない。

一日中寝込んでしまう日もある。

少し調子がよければ外出することもあるが、なかなか本調子には戻らない。

自分には持病があり、健康な人と同じようにはいかない部分がある。生活の中でも、いろいろと気をつけなければならないことがある。

それでも、やりたいことは山ほどある。

仕事をしたい。

会社を成長させたい。

本を読みたい。

新しいことを勉強したい。

寺を巡りたい。

山にも登りたい。

知らない土地へ旅に出たい。

けれど、身体が思うように動かなければ、どれもできない。

寝込んでいると、つくづく思う。

結局、人生で何をするにも、体力がなければ始まらないのだ。

頭では分かっているのに、身体が動かない

自分は、興味のあることが多い。

経営、IT、AI、歴史、仏教、中国古典、数学、語学。

一つのことを調べ始めると、次から次へと知りたいことが出てくる。

本屋へ行けば読みたい本が増える。

寺へ行けば、その歴史をもっと調べたくなる。

仕事でも、新しく挑戦したいことがある。

だから、時間が足りないと思うことはよくある。

一日がもっと長ければいいのに。

もっと効率よく勉強できればいいのに。

そんなことを考えてきた。

けれど、体調を崩すと、時間があっても何もできない。

一日中家にいる。

予定も入っていない。

勉強する時間は十分にある。

それなのに、本を開く気力さえ出ないことがある。

仕事のことを考えようとしても、頭が働かない。

やりたいという気持ちはあるのに、身体がついてこない。

時間がないことと、体力がないことは、まったく違う問題なのだと感じる。

健康は、失ってから価値が分かる

健康なとき、人間は自分の身体をあまり意識しない。

朝起きる。

歩く。

電車に乗る。

仕事をする。

食事をする。

本を読む。

そんな日常の動作を、当たり前のように繰り返している。

けれど、体調を崩すと、その当たり前が難しくなる。

外へ出るだけでも疲れる。

少し歩いただけで休みたくなる。

集中力が続かない。

予定していたことを諦めなければならない。

普段なら何でもないことが、急に大きな負担になる。

そこで初めて、元気に動けることがどれほどありがたいかを実感する。

健康は、何かを達成したときに手に入る報酬ではない。

何かを達成するための土台なのだと思う。

仕事にも、勉強にも、遊びにも体力がいる

会社を経営するには、考える力が必要である。

経営戦略を立てる。

顧客と交渉する。

技術を学ぶ。

問題が起きれば判断する。

これらは一見、頭を使う仕事である。

けれど、実際には身体の状態に大きく左右される。

疲れ切っているときには、よい判断をすることも難しい。

集中力が落ちれば、普段ならすぐに解ける問題にも時間がかかる。

勉強も同じである。

難しい本を読むには、集中力が必要だ。

新しい知識を理解するには、頭を働かせなければならない。

そして、遊びにも体力がいる。

旅行に出る。

山に登る。

一日中、街を歩く。

博物館を巡る。

友人と出かける。

どれも、身体が動いてくれるから楽しめる。

仕事だけではない。

人生を楽しむためにも、体力が必要なのだ。

体力は、気合いだけでは手に入らない

ただし、ここで気をつけなければならないことがある。

体力が大切だからといって、気合いで身体を鍛えればよいという話ではない。

自分には持病がある。

体調には、自分の意思だけではどうにもならない部分もある。

運動したくても、身体の状態によっては休まなければならない。

頑張ることが、かえって負担になる場合もある。

健康な人の生活習慣を、そのまま真似すればよいわけではない。

早朝から走る人がいる。

毎日長時間働く人がいる。

少ない睡眠時間でも元気に活動しているように見える人がいる。

そういう人を見ると、羨ましくなることもある。

自分もあれだけ動けたら、もっと多くのことができるのではないか。

そう思う。

けれど、人によって身体の条件は違う。

持っている病気も違う。

回復に必要な時間も違う。

他人の体力を基準にして、自分を追い込んでも仕方がない。

まずは、自分の身体の状態を正しく理解することが必要なのだと思う。

経営者なのに、自分の身体を経営できていない

少し皮肉なことを考えた。

自分は会社を経営している。

会社の売上を管理する。

利益を計算する。

資金繰りを考える。

将来のリスクに備える。

事業を継続するために、何が必要かを考える。

けれど、自分自身の身体については、どれほど計画的に考えてきただろうか。

仕事の予定は立てる。

勉強の予定も立てる。

旅行の予定も立てる。

それなのに、睡眠や休息、体調管理は後回しになっていなかっただろうか。

会社にとって現金が尽きることが大きな問題であるように、人間にとっても、身体が動かなくなることは重大な問題である。

もちろん、身体は会社のように数字だけで管理できるものではない。

病気の経過には、自分で制御できないこともある。

それでも、身体の状態を無視して計画を立てるのは、経営でいえば、資金残高を確認せずに投資を続けるようなものかもしれない。

目標を立てる前に、それを支える条件を考える。

経営では当たり前のことを、自分自身にも向ける必要があるのだと思った。

休むことは、何もしていないことなのか

体調が悪くて寝込んでいると、焦る。

今日も仕事が進まなかった。

勉強もできなかった。

外出もできなかった。

一日を無駄にしてしまった。

そんなふうに考えてしまう。

けれど、本当に無駄なのだろうか。

病気のときに休むことは、怠けることとは違う。

身体が回復を必要としているなら、休むこと自体に意味がある。

もちろん、寝ていれば必ずよくなるとは限らない。体調が長く改善しない場合には、医療的な対応が必要なこともある。

それでも、少なくとも「動けなかった一日」を、そのまま「価値のない一日」と考える必要はないはずだ。

何かを生み出せなかった日にも、人間の一日は存在している。

売上がなくても、勉強が進まなくても、旅に出られなくても、その日の価値が消えるわけではない。

自分は、何かを達成することに価値を置きすぎていたのかもしれない。

健康を、人生の目標の一つとして考える

これまで自分は、いろいろな目標を立ててきた。

会社を成長させる。

新しい技術を習得する。

資格を取る。

古典を読む。

寺社を巡る。

山へ登る。

どれも、自分にとって大切な目標である。

けれど、その一覧の中で、健康はどの位置にあっただろうか。

「健康に気をつける」

という言葉だけで済ませていなかっただろうか。

健康は、ほかの目標を達成するための手段でもある。

しかし、それだけではない。

朝、気持ちよく目が覚める。

身体が軽い。

散歩を楽しめる。

本を読んでも疲れすぎない。

友人と会う元気がある。

そういう日常そのものが、人生の喜びなのだと思う。

会社が大きくなっても、身体が動かず何も楽しめなければ寂しい。

知識が増えても、学ぶこと自体が苦痛になってしまったら悲しい。

だから、健康を単なる補助的な課題ではなく、人生の重要な目標として考えたい。

自分の身体と、長く付き合っていく

持病がある以上、体調がいつも思いどおりになるとは限らない。

よい日もあれば、悪い日もある。

昨日できたことが、今日はできないこともある。

そんなとき、以前の自分や他人と比べてばかりいても、苦しくなる。

必要なのは、今の自分の状態を見ながら、できることを考える姿勢なのだと思う。

元気な日は、できることをする。

体調が悪い日は、無理をしない。

必要な治療を受ける。

生活を見直す。

そして、少しずつ身体の状態を整えていく。

もちろん、簡単なことではない。

思うように改善しない日もあるだろう。

それでも、自分の身体を敵のように扱いたくはない。

これから先、何十年も付き合っていく身体である。

思いどおりにならないからといって責めるのではなく、どうすれば少しでもよい状態で暮らせるかを考えていきたい。

人生で一番大切な資本

会社には資本金がある。

設備がある。

技術がある。

顧客との信頼関係がある。

それらは事業を続けるための大切な資産である。

では、自分自身にとって一番大切な資本は何だろう。

知識だろうか。

経験だろうか。

人脈だろうか。

お金だろうか。

どれも大切である。

けれど、今回体調を崩して、改めて感じた。

自分の身体もまた、かけがえのない資本なのだ。

しかも、簡単には取り替えられない。

新しいパソコンなら買える。

壊れた設備なら交換できる。

事業の方針なら変更できる。

けれど、自分の身体はそうはいかない。

だからこそ、もっと大切に扱わなければならない。

ただし、身体が健康でなければ人生に意味がない、ということではない。

病気や障害があっても、人間の価値が減るわけではない。

大切なのは、それぞれの身体の条件の中で、できるだけ自分らしく生きられるようにすることなのだと思う。

また元気に歩ける日を

今は、思うように身体が動かない日が続いている。

外へ出ても、なかなか調子が戻らない。

やりたいことはたくさんあるのに、思うように進められない。

それは、やはり悔しい。

けれど、こういう時間があったからこそ、気づけたこともある。

仕事ができること。

本が読めること。

寺へ行けること。

山を歩けること。

友人と出かけられること。

どれも、当たり前ではない。

元気に動ける日は、それだけでありがたい一日なのだ。

これからも、仕事を頑張りたい。

勉強も続けたい。

知らない土地へ旅に出たい。

まだ読んでいない本も山ほどある。

だからこそ、焦って身体を酷使するのではなく、長く続けられる暮らしを考えたい。

ふむ。

人生には、前へ進むことが大切な時期もあれば、身体を休めることが大切な時期もあるのじゃろう。

歩く速さは、人によって違う。

同じ人でも、日によって違う。

それでも、自分の歩幅で進んでいけばよいのかもしれんのう。

今は、身体を整えることを大切にしよう。

そして、また元気に寺を巡り、山を歩き、本を読み、仕事に打ち込める日を増やしていきたい。

さて。

あなたは、自分の身体を、日々どれほど大切に扱っているじゃろうか。

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沙門家鴨(しゃもん-あひる)があがあ寺の管理人
があがあ寺の管理人。
普段はITとエンターテイメントの会社を営んでいます。

寺社を巡り、山を歩き、本を読み、ときどき旅に出ます。
空海をはじめ、仏教・歴史・文化について学ぶのが好きです。

「限りある人生を、どう生きるか。」
そんなことを、よく考えています。

まだ修行の途中。

旅と読書と日々の暮らしの中で考えたことを、ここに書いています。
答えを説くというより、一緒に考えるために。

そんなインターネット上の小さな寺を運営しています。