2026年10月。
最近、中国の古典小説『水滸伝』に夢中になっている。
きっかけは、東京ステーションギャラリーで見た『水滸伝』に関する展覧会だった。
それから中国のテレビドラマを見始め、同時に本も読み進めている。
『水滸伝』には実に多くの人物が登場する。
武勇に優れた者。義理堅い者。短気な者。知恵のある者。権力に反抗する者。
それぞれに個性があり、長所もあれば欠点もある。
そんな登場人物たちの中で、特に自分が惹かれているのが呉用(ごよう)である。
梁山泊の軍師として、さまざまな計略を考える人物だ。
一方で、自分が人間として憧れているのは宋江(そうこう)である。
人望が厚く、多くの豪傑たちを引きつける梁山泊の指導者だ。
この二人を見ていて、ふと思った。
自分に必要なのは、宋江の人徳と、呉用の知恵なのではないだろうか。
呉用という、知恵で戦う男
『水滸伝』には、圧倒的な武力を持つ豪傑が数多く登場する。
素手で虎を退治した武松。
荒々しく豪快な李逵。
槍術に優れた林冲。
彼らの活躍は、読んでいて実に痛快である。
けれど、自分が特に面白いと感じるのは、武力ではなく知恵で戦う人物だ。
呉用は、その代表である。
あだ名は「智多星」。
知恵の多い星という意味で、梁山泊では軍師として活躍する。
敵の動きを読み、相手の弱点を探し、仲間の力を組み合わせて作戦を立てる。
正面から戦えば勝てない相手にも、工夫によって勝機を見いだす。
自分は、こういう人物が好きなのだと思う。
力任せに物事を解決するのではなく、状況を分析し、知識と知恵によって道を切り開く。
これは、現代の仕事にも通じるものがある。
呉用は、諸葛亮ほど完璧ではない
呉用を見ていると、どうしても思い浮かぶ人物がいる。
『三国志』の諸葛亮である。
諸葛亮もまた、知略によって君主を支えた軍師として知られている。
ただし、ここでいう諸葛亮の「完璧さ」は、主として『三国志演義』などで描かれた理想化された姿である。
実際の諸葛亮も、すべての戦いに勝ったわけではないし、判断が常に正しかったわけでもない。
それでも、後世の物語では、先を見通す知恵と忠義を兼ね備えた人物として描かれることが多い。
一方、呉用の計略は、必ずしも美しくない。
人を欺く。
相手を罠にかける。
ときには、目的のために他人を追い詰める。
その知恵が、常に正義のために使われているとも限らない。
また、呉用自身もすべてを見通せるわけではなく、梁山泊の運命を思いどおりに導けるわけでもない。
この不完全さが、かえって人間らしく感じられる。
呉用は、知恵を持つ人間の魅力だけでなく、知恵の危うさも示しているように思う。
頭がよいことと、人間として正しいことは、必ずしも同じではないのだ。
宋江は、なぜ人を引きつけるのか
もう一人、自分が強く惹かれる人物が宋江である。
宋江は「及時雨」というあだ名で知られる。
日照りのときに降る恵みの雨のように、困っている人へ手を差し伸べる人物として描かれている。
人を助ける。
義理を重んじる。
受けた恩を忘れない。
人とのつながりを大切にする。
そうした振る舞いによって、宋江のもとには多くの人が集まってくる。
梁山泊には、武勇で宋江を上回る人物がいる。
知略で宋江を上回る人物もいる。
それでも、宋江は多くの豪傑たちをまとめる立場に立つ。
なぜだろう。
自分は、その理由の一つが人徳にあるのだと思う。
人間は、能力が高いという理由だけで誰かについていくわけではない。
この人は自分を大切にしてくれる。
困ったときに助けてくれる。
約束を守ってくれる。
信頼できる。
そう思えるからこそ、力を貸したくなることがある。
宋江の魅力は、そうした人間関係を築く力にあるのではないだろうか。
ただし、宋江も聖人ではない
もっとも、宋江を無条件に理想化することはできない。
『水滸伝』を読んでいると、宋江の行動にも疑問を感じる場面がある。
仲間を集めるために強引な手段を用いることもある。
梁山泊の仲間たちが望むものと、宋江自身が目指すものが一致しているとも限らない。
特に、朝廷への帰順を意味する「招安」をめぐる判断は、宋江という人物を考えるうえで重要である。
宋江は忠義を重んじ、朝廷から正式に認められることを望む。
しかし、その選択が梁山泊の仲間たちにとって本当に幸福だったのかは、簡単には答えられない。
ここには、リーダーの難しさがある。
自分が正しいと信じる道が、必ずしも仲間全員にとって正しいとは限らない。
人望があるからといって、判断まで常に正しいわけではない。
だからこそ、宋江から学ぶときには、人徳と判断の是非を分けて考える必要があると思う。
知恵だけでは、人は動かない
呉用と宋江を比べていると、現代の組織にも通じることが見えてくる。
たとえば、優れた戦略を考えられる人がいたとする。
市場を分析できる。
競争相手の弱点が分かる。
合理的な計画を立てられる。
技術的な問題も解決できる。
それは素晴らしい能力である。
けれど、その人が周囲から信頼されていなかったらどうだろう。
誰も本音を話してくれない。
困っていても相談してくれない。
指示には従うが、自発的には動いてくれない。
そんな状態では、どれほど優れた戦略があっても実行は難しい。
反対に、人望が厚いだけでも組織はうまくいかない。
人に好かれている。
相談しやすい。
困っている人を助ける。
それだけでは、複雑な問題を解決できるとは限らない。
誤った判断をすれば、信頼してついてきた人たちまで苦しめてしまう。
つまり、知恵と人徳は、どちらか一方があればよいというものではないのだろう。
自分は、どんな経営者になりたいのか
自分も会社を経営している。
そして、ITの世界で仕事をしている。
システム開発では、技術的な知識が必要である。
設計を理解しなければならない。
問題の原因を分析しなければならない。
将来の変化を予測し、限られた人員や予算の中で最適な方法を考えなければならない。
そういう意味では、呉用のような知恵が欲しい。
けれど、自分一人で大きな仕事ができるわけではない。
優れたエンジニアがいる。
デザイナーがいる。
営業がいる。
顧客がいる。
さまざまな専門家と協力しなければ、よいものは造れない。
そのとき必要なのは、知識だけではない。
相手の立場を理解すること。
約束を守ること。
困っている人を助けること。
自分の利益だけでなく、相手の利益も考えること。
失敗したときに責任を引き受けること。
そういう宋江の人徳に通じるものも必要になる。
人を大切にするだけでなく、人を正しい方向へ導けるだけの知恵を持つ。
そんな経営者になりたいと思った。
呉用の知恵を、何に使うのか
ただ、ここでもう一つ考えたいことがある。
知恵は、それ自体では善でも悪でもない。
同じ知識でも、人を助けるために使うことができる。
反対に、人を騙したり、利用したりするためにも使える。
呉用の計略を見ていると、そのことを強く感じる。
相手の心理を読む。
情報を集める。
状況を操作する。
先を予測する。
こうした能力は、現代のビジネスでも役に立つ。
しかし、能力が高くなるほど、それを何のために使うのかが重要になる。
自分だけが利益を得るためなのか。
相手を出し抜くためなのか。
それとも、関わる人たちがよりよい結果を得るためなのか。
知恵の使い方には、その人の価値観が表れる。
だから、呉用の知恵を身につけたいと思う一方で、それを導くための人徳も磨きたい。
知恵を磨くことと、人間性を磨くことは、切り離してはいけないのだと思う。
人徳は、生まれつきの才能なのだろうか
宋江のような人望は、どうすれば身につくのだろう。
これは、以前から考えている問いでもある。
生まれつき人に好かれやすい人はいる。
話が上手な人もいる。
自然と周囲に人が集まる人もいる。
けれど、人徳というものは、それだけではないはずだ。
約束を守る。
人の話を聞く。
困っている人を助ける。
恩を忘れない。
自分の非を認める。
人を見下さない。
そうした行動を、長い時間をかけて積み重ねることで生まれる信頼もある。
一度よいことをしたからといって、すぐに人徳が身につくわけではない。
一度親切にしたからといって、人望が集まるわけでもない。
毎日の行動の積み重ねが、その人の評判や信頼をつくっていく。
そう考えると、人徳は単なる性格ではなく、日々の実践によって育てられるものでもあるのだろう。
知恵も人徳も、一生かけて磨くもの
呉用のような知恵を得るには、学ばなければならない。
歴史を読む。
古典を読む。
技術を学ぶ。
経営を学ぶ。
物事を観察する。
経験を振り返る。
そして、自分の頭で考える。
一方、宋江のような人徳を身につけるには、人と関わらなければならない。
人の話を聞く。
人を助ける。
信頼を裏切らない。
自分の利益と相手の利益がぶつかったときに、どう行動するかを考える。
知恵は、書物や経験から学べる。
人徳は、人との関係の中で試される。
どちらも、短期間で完成するものではない。
だからこそ、一生かけて磨いていく価値があるのだと思う。
理想の人物は、一人でなくてもいい
以前は、歴史上の偉人や物語の登場人物を見て、
「この人のようになりたい」
と考えることがあった。
けれど、最近は少し考えが変わってきた。
一人の人物を丸ごと理想にする必要はないのかもしれない。
呉用には、優れた知恵がある。
しかし、計略のために他人を犠牲にする面もある。
宋江には、人を引きつける魅力がある。
しかし、指導者としての判断には疑問も残る。
諸葛亮にも学ぶべきところがある。
それでも、完全無欠の人物ではない。
大切なのは、それぞれの人物から学ぶべきものを見つけ、自分の生き方に取り入れることなのだろう。
呉用からは、状況を読む知恵を。
宋江からは、人を大切にする姿勢を。
そして二人の失敗からは、知恵も人望も使い方を誤れば人を傷つけるという教訓を。
そんなふうに古典を読めば、物語は単なる娯楽ではなく、自分自身を見つめ直す材料になる。
自分は、どんな人間になりたいのか
『水滸伝』を読みながら、結局考えているのは自分のことなのだと思う。
自分は、どんな経営者になりたいのか。
どんな仕事をしたいのか。
どんな人たちと一緒に働きたいのか。
そして、どんな人間として生きていきたいのか。
知識が豊富なだけの人にはなりたくない。
人に好かれるだけの人にもなりたくない。
困難な問題に直面したとき、知恵を絞って道を見つけられる人でありたい。
同時に、周囲の人たちから信頼され、困ったときに頼ってもらえる人でありたい。
その二つを兼ね備えるのは、簡単なことではない。
だからこそ、目指す価値がある。
ふむ。
頭がよいことも、人に優しいことも、それぞれ尊いものじゃ。
じゃが、知恵だけでは人の心はつかめず、優しさだけでは解決できない問題もある。
知恵を磨き、人徳を育てる。
そして、磨いた知恵を人のために使う。
そんな生き方ができたら、なかなか立派なものじゃのう。
さて。
あなたが歴史上の人物や物語の登場人物から、一つずつ能力をもらえるとしたら、誰のどんな長所を、自分の中に育てたいじゃろうか。






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