知らない人と旅をすると、自分の世界が少し広がる

4人で車に乗り、栃木県を巡った。

出流山満願寺から始まり、大谷観音、大谷資料館、中禅寺、そして日光東照宮へ。

寺を訪ね、巨大な地下空間を歩き、山道を走り、湖を眺める。

それだけでも十分に面白い一日なのじゃが、この旅にはもう一つ、面白い出来事があった。

同行者の一人が、その日初めて会う人だったのじゃ。

知らない人と一日を過ごす

その人は韓国出身の青年。

韓国でも非常に優秀な大学を卒業し、現在は日本のIT企業でインフラエンジニアとして働いている。

国も違えば、育った環境も違う。

仕事の経験も違う。

普通に暮らしていたら、なかなか長い時間を一緒に過ごすことのない相手じゃろう。

ところが、旅というものは不思議なものでのう。

同じ車に乗っていると、話す時間がたくさんある。

仕事の話。

日本と韓国のIT業界の話。

エンジニアとしての働き方。

大学の話。

それぞれの国の違い。

目的地から目的地へ移動する何気ない時間が、いつの間にか小さな勉強会のようになっていた。

人は「知らない世界」を知らない

ふむふむ。

ここで少し考えてみようかのう。

人間は、自分が知っている世界の中だけで物事を考えがちじゃ。

同じ会社の人とばかり話していれば、その会社の常識が世界の常識になる。

同じ世代の人とばかり話していれば、その世代の感覚が普通になる。

同じ国の人とばかり話していれば、その国の考え方が当たり前になる。

それ自体が悪いわけではない。

問題なのは、

「自分が見ている世界は、世界のほんの一部分にすぎない」

ということを忘れてしまうことじゃ。

違う人と話すと、自分の常識が見えてくる

外国の人と話して面白いのは、外国について知ることだけではない。

むしろ、

「自分たちが当たり前だと思っていたこと」

が見えてくることに価値がある。

これは国籍だけの話ではないぞ。

経営者と会社員。

若者と年配者。

技術者と営業職。

都会で暮らす人と地方で暮らす人。

結婚している人と独身の人。

自分とは違う場所に立っている人と話すと、それまで透明だった自分自身の価値観が見えてくる。

「あれ。これは当たり前ではなかったのか」

そう気づく。

その瞬間に、世界がほんの少し広くなるのじゃ。

旅の価値は、目的地だけではない

今回訪れた場所には、それぞれ長い歴史がある。

出流山満願寺。

大谷観音。

大谷資料館。

中禅寺。

日光東照宮。

もちろん、それらを見ることも旅の大切な目的じゃ。

しかし旅が終わったあとに残るものは、写真や御朱印だけではない。

車の中でした会話。

食事をしながら聞いた話。

誰かが何気なく口にした一言。

予定外に起きた出来事。

そういうものが、何年か経っても妙に残っていたりする。

だから旅というものは、

「どこへ行ったか」

だけでは測れないのかもしれんのう。

「誰と出会い、何を考えたか」

まで含めて旅なのじゃろう。

少しだけ、自分と違う人のところへ

人間はどうしても、居心地の良い場所に集まる。

似た考え方。

似た仕事。

似た年齢。

似た趣味。

それは安心できる。

じゃが、ときどきそこから一歩だけ外へ出てみるのも面白いぞ。

外国へ行かなくてもよい。

大げさな交流会へ参加する必要もない。

普段なら話さない人と話してみる。

知らない分野の人の話を聞いてみる。

違う世代の人と食事をしてみる。

それだけでも十分じゃ。

世界を広げるというのは、

世界中を旅することではないのかもしれん。

自分とは違う世界を生きている誰かの話を、少し聞いてみること。

それも立派な旅なのじゃ。

さて。

最近、自分とはまったく違う世界にいる人と話したのは、いつだったかのう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

ABOUT US
沙門あひるのアイコン
沙門家鴨(しゃもん-あひる)があがあ寺の管理人
があがあ寺の管理人。
普段はITとエンターテイメントの会社を営んでいます。

寺社を巡り、山を歩き、本を読み、ときどき旅に出ます。
空海をはじめ、仏教・歴史・文化について学ぶのが好きです。

「限りある人生を、どう生きるか。」
そんなことを、よく考えています。

まだ修行の途中。

旅と読書と日々の暮らしの中で考えたことを、ここに書いています。
答えを説くというより、一緒に考えるために。

そんなインターネット上の小さな寺を運営しています。