2026年9月30日、Amazon Prime Videoで『新プロジェクトX』の東京スカイツリー建設を扱った回を見た。
以前、実際に東京スカイツリーを訪れたことがある。
そのときも、634メートルの塔を見上げながら、
「こんなものを、人間はどうやって造ったのだろう」
と思った。
設計する人がいる。
施工する人がいる。
鉄骨を造る人がいる。
現場を管理する人がいる。
何千、何万という部品があり、それぞれに仕事をした人がいる。

一人の天才が造ったものではない。
多くの専門家の仕事が積み重なって、あの一本の塔になっている。
そんなことを考えながら見学した。
けれど今回、番組を見て、その「人」の部分が初めて見えたような気がした。
そして、涙が止まらなくなった。
完成した建物からは、苦悩が見えない
完成した東京スカイツリーは、美しい。
東京のランドマークとして立っている。
観光客は写真を撮る。
展望台から東京を見る。
夜になればライトアップされる。
完成した姿だけを見れば、
最初から当然そこに建つことが決まっていたようにさえ見える。
けれど、そんなわけがない。

巨大な仕事には、
完成するまでの無数の問題がある。
うまくいかない。
予定通りに進まない。
今までの方法ではできない。
それぞれの立場から違う意見が出る。
責任を背負う人がいる。
悩む人がいる。
失敗できないという重圧の中で、
それでも答えを探し続ける人がいる。
完成品だけを見ていると、
そういう時間はすべて消えてしまう。
残るのは、きれいな塔だけである。
でも本当は、
あの634メートルの中には、
数え切れないほどの人間の苦悩が入っている。
そう思った。
一人では、絶対に造れない

特に胸を打たれたのは、
立場や会社の壁を越えて、一つのものを造ろうとする人たちの姿だった。
大きな仕事になればなるほど、
一人の能力だけではどうにもならない。
設計だけできても造れない。
施工だけでも造れない。
鉄骨だけでもだめ。
設備だけでもだめ。
それぞれに専門家がいて、
それぞれに譲れないものがある。
当然、ぶつかることもある。
自分の部署。
自分の会社。
自分の責任範囲。
普通なら、そこで線を引くこともできる。
「そこから先は、うちの仕事ではありません」
と言ってしまえば楽なのかもしれない。
けれど、
本当に大きな仕事を成し遂げるときには、
その壁を越えなければならない瞬間がある。
所属は違っても、
見ているものが同じになる。
「東京スカイツリーを完成させる」
という一つの目的に向かって、
それぞれの専門家が自分の持っているものを出す。
その姿が、たまらなく格好よかった。
「自分の仕事」に誇りを持つ

番組を見ながら、
何度も考えた。
この人たちは、
自分の仕事を誇っているのだろうな、と。
もちろん、仕事だから給料をもらう。
会社から命じられた仕事でもある。
生活のためでもある。
でも、
それだけでは説明できない熱量がある。
「自分たちがこれを造る」
という気持ち。
「ここだけは妥協できない」
という気持ち。
自分の技術に対する責任。
次の人へきちんと仕事を渡そうとする責任。
そして、
完成したものを見たときに、
「あれを造った仕事に、自分も関わった」
と言えること。
それは、ものすごく幸福なことなのではないかと思った。
自分は、仕事を愛しているだろうか
そこで、自分のことを考えた。
自分も仕事をしている。
会社を経営している。
システムを作る。
プロジェクトを動かす。
人と交渉する。
設計する。
問題が起きれば解決する。
けれど、
あの人たちと同じくらい、
自分は自分の仕事に誇りを持っているだろうか。
そう考えると、
少し胸に刺さるものがあった。
仕事を、
売上で見る。
単価で見る。
労働時間で見る。
効率で見る。
キャリアになるかで見る。
もちろん、それらは経営する以上、大切である。
利益がなければ会社は続かない。
生活もできない。
でも、
それだけになってしまったら、
少し寂しい。
「この仕事で、何を造ったのか」
「誰の役に立ったのか」
「自分は、この仕事をしたと胸を張って言えるのか」
そんな尺度も持っていたいと思った。
システム開発にも、同じものがあるはずだ
東京スカイツリーのような巨大建築と、
普段のシステム開発では、
見た目がまったく違う。
建物なら残る。
巨大な塔なら誰にでも見える。
一方、システムは目に見えにくい。
何万人が使っていても、
その裏側で誰が設計したのか、
誰がサーバーを構築したのか、
誰が障害対応をしたのか、
利用者はほとんど知らない。
それでも、
本質は似ているのかもしれない。
一人では造れない。
フロントエンドがいる。
バックエンドがいる。
インフラがいる。
ネットワークがいる。
セキュリティがいる。
デザイナーがいる。
営業がいる。
顧客がいる。
プロジェクトをまとめる人がいる。
それぞれが別の専門性を持ち、
違う立場から一つのものを造る。
意見がぶつかる。
技術的な壁が出てくる。
予算もある。
納期もある。
それでも、
最後には一つのサービスとして世に出す。
考えてみれば、
これも立派なものづくりである。
「全部できる人」にならなくてもいい
もう一つ、番組を見ながら感じたことがある。
大きな仕事をするために、
一人ですべての専門家になる必要はない。
東京スカイツリーを、
一人で設計し、
一人で鉄骨を造り、
一人で溶接し、
一人で施工管理し、
一人で電気設備まで整えた人はいない。
そんなことはできない。
それぞれに、
その道を深く掘ってきた人がいる。
大切なのは、
その人たちが力を発揮できるように、
一つの目的へまとめていくことなのだと思う。
自分はこれまで、
技術者としてもっと詳しくならなければならない、
ネットワークも、
インフラも、
セキュリティも、
AIも、
統計も、
アーキテクチャも、
全部分からなければならない、
と思うことがある。
もちろん、学ぶことは必要である。
まとめる人間にも、専門家と話せるだけの知識は必要だ。
でも、
すべての分野で世界一になる必要はない。
自分より詳しい人がいるなら、
その人の力を借りればよい。
そして、
異なる専門家たちが同じ方向を向けるようにする。
それもまた、
一つの専門性なのだと思う。
大きな仕事とは、大きな建物を造ることではない
以前スカイツリーへ行ったとき、
「大きな仕事とは何だろう」
と考えた。
今回、番組を見て、
少し答えが変わった。
大きな仕事とは、
単に大きな建物を造ることではないのだと思う。
たくさん稼ぐことでもない。
有名になることでもない。
難しい仕事に、
多くの人が自分の専門性を持ち寄り、
互いの壁を越え、
「これを完成させる」
という一つの目的へ向かっていく。
その過程に、
大きな仕事の本質があるのかもしれない。
完成したあと、
自分の名前が大きく残らなくてもいい。
何十年かあと、
誰かがそれを使っている。
自分の仕事が、その一部分になっている。
そして、
「あれには、自分も関わった」
と静かに言える。
それは、ずいぶん格好いい生き方だと思う。
仕事は、人生のかなり長い時間を占める
仕事だけが人生ではない。
家族もある。
友人もいる。
旅もある。
本もある。
何もしない時間だって必要だ。
けれど、
人生の中で仕事に使う時間は、やはり長い。
それなら、
その時間をただ「お金と交換した時間」にしてしまうのは、
もったいないのかもしれない。
苦しい仕事もある。
やりたくない仕事もある。
すべての仕事に情熱を持てるわけではない。
それでも、
人生のどこかで一度くらい、
「これを造るためなら、本気でやってみたい」
と思える仕事に出会いたい。
そしてできるなら、
自分の専門性を磨き、
自分より優れた人たちと一緒に、
一人では到底できない仕事をしてみたい。
涙が出た理由
なぜ、自分はあれほど泣いたのだろう。
苦悩する人たちを見たからかもしれない。
困難を乗り越えたからかもしれない。
男たちが力を合わせる姿に胸を打たれたのかもしれない。
けれど、
それだけではなかった気がする。
たぶん、
「あんなふうに仕事をしたい」
と思ったのだ。
自分の仕事に誇りを持つ。
自分の専門性を磨く。
仲間の専門性を尊敬する。
立場や組織の壁を越える。
困難な問題から逃げない。
そして最後に、
「自分たちは、これを造った」
と言う。
そんな仕事を、
自分も人生の中でしてみたい。
東京スカイツリーは634メートルある。
自分が同じような塔を造ることは、おそらくない。
でも、
自分には自分の仕事がある。
ふむ。
人の仕事を見て涙が出るほど感動したのなら、
そこで終わらせるのは少しもったいないのう。
「あの人たちはすごかった」
だけではなく、
「では、自分は何を造るのか」
まで考えてみる。
そうすれば、
あの涙も少し意味のあるものになるのかもしれん。
さて。
いつか仕事人生を振り返ったとき、
あなたは何を指さして、
「これが、自分の仕事です」
と言いたいじゃろうか。










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